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(88)還暦記念旅行33日間 高野山

今日は、還暦記念旅行33日間の32日目、2010年7月19日(月)の
高野山観光の様子です。

和歌山県白浜町から田辺市に入り、高野龍神スカイラインを通って、
12:10、高野山奥の院の駐車場に着きました。

「高野山奥の院」;一の橋から弘法大師の御廟までの約2kmの参道の両側には、
樹齢数百年の杉の大樹と共に、歴史に名を残す諸大名などの20万基を超える
墓碑や供養塔が立ち並んでいます。
老杉から差す神々しい光に浮かび上がる苔むした墓石群は長い歴史を感じさせます。
門のところで。
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参道です。
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豊臣家墓所。
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織田信長墓所。
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御廟橋・・・この橋を渡ると霊域に入ります。
橋板は36枚で、橋全体を一尊として金剛界三十七尊を表わしているそうです。
参拝者はここで服装を正し、清らかな気持ちで礼拝し御廟に参拝するとなっています。
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この先に、「弘法大師御廟」があります。
「弘法大師御廟」は、大師信仰の中心聖地です。
高野三山(転軸・楊柳・摩尼)に囲まれた台地にあり、その山裾を玉川が清く流れる。
大師は、この地を入定留身の地として自ら定められていたそうです。
「灯籠堂」もありました。
「灯籠堂」は、弘法大師を祀る御廟の拝堂として建立されました。
内陣には、1016年、両親菩提のために孝女てるが髪を売って献じた「貧女の一灯」、
白河上皇が献じた「白河灯」が、今も絶やすことなく灯し続けられています。

次に訪れたのは、「金剛峯寺」
弘法大師の時代、金剛峯寺とは高野山全体を指す名称でした。
その後、1593年に、豊臣秀吉の亡き母の菩提を弔う為に建立された
青巌寺(せいがんじ)が、1868年(明治2年)に興山寺と合併。
以後、寺院を指す名称となったそうです。
門のところで。
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秋篠宮悠仁親王さまのお印「高野槙」と。
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本殿
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全体を。
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本殿の前で。
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「こうやくん」と一緒に記念撮影(*^-^*)
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紫陽花と一緒に。
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高野山の街並みも散策しましたが、写真を撮っていませんでした(^^ゞ

この日は、泉佐野市まで山道を下って、高速道路で岡山まで移動しました。
その様子は、次回に。
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テーマ : ガーデニング
ジャンル : 趣味・実用

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とっくん


Author:とっくん
北九州で育ち、結婚して、 島根県に住んでいます。
34年間のフルタイムの仕事も 10年まえにリタイアし、
3人の子育ても一段落した今、
ゆっくりとした時間の中で、庭の花を育てる楽しみと
つれあいと二人での旅を  満喫しています。

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